「初回の講義はここまでになります。質問など、ありますか?」
講堂を見回すと、数名の生徒が手を上げていた。
今年はやる気のある生徒もいるらしい。
理玖は最前列に座る男子学生を指した。
「otherがonlyをレイプする事件が多い印象があります。onlyが発するフェロモンをotherが感知することで、otherが発情するんですよね。お互いに薬を飲んでいても、起こり得るのでしょうか? onlyだけが抑制剤を飲むだけでは駄目なのでしょうか?」
なかなかに鋭い指摘だと思った。
この生徒はちゃんと講義を聞いていたらしい。
「メカニズムで言えば、onlyがSAフェロモンを発しなければotherは発情しません。残念ながら今、処方されている抑制剤は完璧ではないので、フェロモン量の多い人等は、薬を飲んでいても微量のフェロモンを放出している場合があります。onlyのフェロモンは個体差があり、かつ感情に左右されて増減するとも言われています。恋愛感情や性的な欲求、興奮が高まると多く放出されるし、その時に薬の半減期を過ぎていた場合、薬効が弱まってフェロモンが出てしまうケースが考えられます。また、otherのPOEフェロモンに触発されてonlyのSAフェロモンが増幅するケースもあり、other側からのモーションで誘発される稀な状況ですが……」
途中ではたと気が付いて、理玖は言葉を止めた。
「この辺りは次の講義の内容でした。only、otherともに薬は飲むべきだけど、万能ではないと覚えておいてください」
質問が来たのが嬉しくて、思わずいっぱい話してしまった。
ちょっと恥ずかしくなって、照れた顔を隠すように俯いた。
「わかりました。ありがとうございます」
質問した男子生徒は満足そうに、ニコリと笑んだ。
「それじゃ、次……」
後ろの方で手を上げている女生徒を、理玖は指した。
「onlyがnormalを好きになっても、結婚は出来ないんでしょうか」
ありがちな質問だが、見落としがちな部分だ。
今年の生徒は出来が良い。
「男女の組み合わせであれば、法的に結婚は可能です。しかし、子供は望めません。onlyは男性であっても基本、相手を妊娠させることが出来ません。自身が妊娠はできますが相手はother限定です。例外として、男性がonly、女性がotherであった場合、両方の妊娠出産が可能です。ですが、onlyの相手がnormalである場合、SMホルモンの関係上、男女ともに妊娠出産はできません。子供がいない夫婦というのも昨今は珍しくありません。国の少子化対策には反しますが、二人で愛情を育むのも素敵な結婚かと思います」
女生徒がはにかんで頷いた。
「ありがとうございます。分かり易かったです」
何となく満足してくれた顔に、ほっとした。
ちょうどよく、終礼のチャイムが鳴った。
「メカニズムが解明されていないパターンも、WOには多く存在します。その辺りの解説も、次回以降の講義で。今日はここまでにしましょう」
生徒たちが講堂を出ていく。
理玖は資料とPCを片付け始めた。
「先生、先程は、ありがとうございました」
見上げると、最初に質問した男子生徒が理玖を見下ろしていた。
「いや、こちらこそ……」
質問以上の返答をしてごめんね、というべきか、迷う。
「俺、積木大和っていいます。WO専攻希望なんで、講義楽しみにしてます」
理玖は屈んでいた体を起こして大和に向き合った。
「WO専攻希望なの? 珍しいね。でも、嬉しいな。頑張ってね」
まだまだ未開拓で研究者が少ない分野だ。
同志が増えるのは単純に嬉しい。
「そのために医者になるって決めたんで。先生の論文は幾つか読んでいて、尊敬してます。だから、講義受けられて、嬉しいです」
思いもよらない言葉に、理玖の思考が停止した。
尊敬なんて、社交辞令以外で言われたことがない。
(あ、そうか、これも社交辞令か)
そう思ったら、ちょっとだけ思考回路が動いた。
「えっと、ありがとう……。楽しい講義ができるように、がんばります……」
爽やかな笑顔を見せると、大和が友人らしき他の生徒と共に講堂を出ていった。
今年は面白い生徒が入ったな、と思いつつ、理玖は黙々と片付けを再開した。
「小林君のスパイ活動のお陰で、色々知れて助かったよ。恐らく秋風君は今も鈴木君のフェロモンで夢の中だ。そうなると予想していたから、昨日のうちに小林君に助けを求めた。小林君が蘆屋先生にヘルプするとも予想していたでしょうね」 小林が満足そうに得意げな顔をした。 理玖の目が蘆屋に向く。「折笠先生なら、どうすると思いますか?」 理玖の問いかけに、蘆屋が頭を掻いた。「放ってはおかないだろ。折笠にとって臥龍岡先生も圭も大事な愛人だ。薔薇の園の呪いを解くために自殺したのに、これじゃ死に損だからね。まだ死んでないけど」「どういう意味です?」 眉間に皺が寄ったのに、自分でもわかった。「RoseHouseやマザーの教えっていう呪縛を解いてあげたかったんだってさ。孤児とはいえ施設の子供に人殺しさせようとする躾が正しいわけないだろ。だから死んで、わからせてやろうと思う、とか言ってね。いつもの冗談だと思って聞き流したけど、まさか本気だったとは俺も思わなかったよ」 蘆屋の話し方は怠そうだが、表情が悲痛で、晴翔は息を飲んだ。(臥龍岡先生や鈴木君が安倍忠行のクローンだってことも、RoseHouseの実態も、蘆屋先生は知らないんだ。だから孤児って思ってる。いくら友人でも、流石にそこまでは話さないか) 本人たちが間接的な協力者といっているくらいだ。 核心に迫る話はしなかったのだろう。(安倍晴子は自分の子に人殺しをさせようとした。事実はさらに重い) 頼りにしていた大事な人を失っても、臥龍岡は止まらなかった。 目は醒めていないのだろう。 蘆屋がこうして動き出したのも、聞き流してしまった自責なのかもしれない。
「昨日、秋風君に? もしかして、栗花落さんのこと?」 それはつまり、秋風が今日の作戦を悩んでいた証であり、RISEのやり方に疑問を持っている証だ。 小林が眼鏡を上げながら深く頷いた。「秋風はこのままRISEにいるべきか、迷っています。だけど、抜け出せない。彼のしがらみは、髪の毛についてしまったガムよりしつこい。もしくは難易度マックスの知恵の輪です」 分かり易いが、その例えはどうだろうと思った。「小林君は昨日、秋風君にこう相談されたそうだよ。もし自分が栗花落礼音を犯してしまったら、向井先生に助けてって伝えてほしいって」 理玖が小林の話を補足してくれた。「秋風にとって、栗花落さんは大事な友達だそうです。だけど、同じくらい臥龍岡先生や圭が大事なんだそうです。味方でいたいけど、栗花落さんを巻き込むようなやり方だけはしたくないと、そう言っていました」 小林の話に、晴翔は唇を噛んだ。「臥龍岡先生なら、栗花落さんに手を出してくるだろうと、僕は考えていたけど。秋風君にとって、栗花落さんが最後の一線だったようだね」 理玖の言葉に余計、心が詰まった。 秋風もまた、自分の心を潰してRoseHouseに貢献している。「盗聴器やICレコーダーは、その為に?」 晴翔は蘆屋を振り返った。「小林君がやってみたいって、しつこいからさぁ。自分のサークル室に仕掛けるなら違法じゃないし、あくまで遊びのつもりでね。まさか今日の午前中にあの場所でセックスしたり脅迫めいた話をする人がいるなんて思わないだろ」 ふいっと顔を逸らして、蘆屋がべっと舌を出した。「ジェームズ・ボ
部屋の中に入ると、理玖と國好が待機していた。 思わず気まずくて、目を逸らしてしまった。「理玖さん、國好さん……、勝手に動いて、すみません」 歩み寄った國好が、晴翔の背中から栗花落を降ろした。「いいえ。白石襲撃に続き、大事な時に場を離れた俺の失態です。すみませんでした」 栗花落を抱きかかえたまま、國好が頭を下げた。「いえ……。國好さんが理玖さんに付いているって知っていて、俺が出ていったんです。もう少し早くに戻られていたら、俺が困ってました」 理玖に付いていた國好が晴翔を迎えに戻ってから一緒に講堂の片付けに向かう予定でいた。 タイミングとしてはギリギリだったろう。 國好が悔しそうに首を振った。「しかも空咲さんは栗花落を助けるために向かってくださった。警察官が一般人に迷惑をかけるなど、言語道断です」 國好が悔しそうに栗花落を見詰める。 栗花落の顔に理玖が手を伸ばした。「僕のフェロモンがもう少し効果があれば良かったんですが。二日も経つと流石に無理だったみたいだね」 フェロモンは短時間で単発的な効果しかないと、理玖は前に話していた。 中々フェロモンが効かなかったと話していた鈴木の言から考えれば、理玖が保険でかけた鎮静フェロモンが全く効果がなかったわけではないのだろうが。助けるには至らなかった。「俺と会う前に鈴木君のフェロモンを相当、吸わされたみたいで。その影響で栗花落さんは警官をやめてRISEに入ると、RoseHouseを守ると話していました」 國好の顔が更に悔しそうに歪んだ。
理玖に頼まれて七不思議解明サークルについて調べていた晴翔が、ギリギリ覚えていた情報。 顧問の蘆屋道行はnormalで、医学部の教授であること。 サークル長の小林裕真はonlyで、RoseHouse出身者で秋風と仲が良いこと。 その他のサークル員四名はRoseHouseとは関わりがないWOだったこと。 「どうして蘆屋先生が、ここに……」 鈴木との話し合いが終わった頃合いでやってきて、理玖に電話連絡をしていたことも。 ICレコーダーを手にしている状況も、全くわからない。 混乱する晴翔に向かい、蘆屋が指をさした。「とりあえず、ずらかるから。その子、背負って一緒に来い。この部屋、鍵かけにゃならん」「はい……」 敵なのか味方なのかも、よくわからない。 だが今は、言う通りにするしかない。 蘆屋に手を借りながら栗花落を背負うと、晴翔は部屋を出た。「俺が君らを見付けて部屋に鍵を掛ける分には問題ないんだよ。今のこの状況なら、君が俺の部屋にその子を連れてくるのも、特に問題ないだろ、多分」「はぁ……」 蘆屋がICレコーダーを晴翔に手渡した。「あの部屋はねぇ、盗聴器ついてんだよ。だから君らが何を話していたか、俺は知ってるんだけど。それを圭は知らない」「どうして、そんなもの……。七不思議解明サークルはRISEじゃないんですか?」「違うよ」 蘆屋がにべもなく否定した。「違うけど、そうでもある。だから、会話の内容は、君が望むなら向井君に内緒にするけど、どうする?」「どう、って。この状態で戻ったら、どの
うつらうつらと寝こける栗花落を抱いて、晴翔は困っていた。 栗花落を理玖の所に連れていけば、鈴木圭のフェロモンを中和してもらえる。 だが同時に、今起こった事態を説明しなければならなくなる。(秘密にしないと、栗花落さんがまた狙われる。今夜の約束も、話せない) とはいえ、いつまでもこの部屋にいるわけにはいかない。 第一研究棟103号室は七不思議解明サークルのサークル室だ。 DollとRISEの協力者と思われる七不思議解明サークルに関わる場所に長居は危険だ。(いくら鈴木君から仕掛けてきたとはいえ、いや、だからこそ危険か。あの得体のしれない感じ、秋風君とは違う意味で違和感だ) 晴翔が知っていた鈴木圭とは明らかに違っていた。(普段は演技で、あの感じが性根なんだろうな。臥龍岡先生にそっくりだ) 人の心の内面まで見透かしたような、その上で掌の上で転がしているような笑い方や話し方、余裕ぶった表情。人当たりが良さそうに笑いながら人を値踏みしている目。全部が気持ち悪い。 窓の外に人影を感じて、見上げた。 清掃員姿の男が背を向けて掃除をしていた。 鍵を開けて、窓を薄く開く。「今日から栗花落さんに一人、付いてくれるか。今夜は理玖さんにも手厚く。一人は俺に」 清掃員が帽子のつばを握って被り直すような仕草をした。 掃除しながら、少しずつ離れていった。(まさかSPがバレていたとはなぁ。素人だからって甘く見ちゃダメか) 理玖に危険が及ばないよう、あくまで身辺警護の意味合いで呼んだSPだ。 身分を明かす前から入れているので、理玖にも警察にも話すタイミングを失ったまま、今に至っている。
晴翔の腕の中で鈴木の股間に栗花落が頬擦りする。栗花落の頭を鈴木が撫でた。「さっきの話の続きですが、礼音は向井先生の側に居るだけで、僕らが期待する仕事をしてくれる。向井先生は礼音から色んな情報を引き出せたでしょう? だから敢えて手出しせず、側に居てもらおうと思ったんです」「俺たちにRoseHouseの実態を掴ませるのが、君らの目的なのか?」 鈴木が首を傾げて笑った。 その顔は可愛らしくて、とても無垢だ。 かえって怖い。「ある程度、RoseHouseについて知ってもらえないと、向井先生を引き込めないから。僕たちにとって向井先生は神で、spouseになった空咲さんは特別です。マザーは向井先生がほしいんですよ」 どくり、と心臓が下がった。 鈴木の晴翔を見下ろす目が、仄暗く染まって見えた。「でもこれ以上、礼音に無理させるのは可哀想だから。僕らは同郷の出身者を大事にします。だから、引き取ろうと思って」 栗花落の顎を上向けて、鈴木がまた深いキスをした。 自分から顔を寄せて、栗花落が鈴木の唇を吸った。 腕の中の栗花落の顔が、徐々に蕩けていく。「ぁ……、や……、きもちぃ、もっとぉ……」 栗花落の股間が硬さを増す。 晴翔は鈴木から栗花落を引き剥がした。「こんな風に快楽で支配して、頭を使わせない状態にするのが、君らの言う大事にするってことなのか? 栗花落さんは嫌々、警察になった訳でも、この事件に関わっている訳でもない。栗花落さんなりに戦ってるんだ」 自分の股間に栗花落の顔を押し付ける鈴木から、その体を奪う。 栗花落を羽交い絞めにするつもりで